「亜麻」と「地域」をつなぐ

ものづくりを通してつながる想い
亜麻(あま)と地域をつなぎ、人の輪を紡いでいきたい

あさぶ亜麻保存会 会長 宮崎正晴(みやざきまさはる)さん

古くから麻生(あさぶ)の地に根付いてきた亜麻の歴史や魅力、麻生の地名の由来を伝えながら、亜麻を通じたまちづくり活動で人と人をつなぐ。地域の人たちにもっと亜麻を知ってもらいたいー。その想いを伺いました。

あさぶ亜麻保存会
会長 宮崎正晴(みやざきまさはる)さん

亜麻を通じたまちづくり活動を行うことで、麻生を花いっぱいで潤いのあるまちにしたいという想いから、平成23年にあさぶ亜麻保存会を設立、会長に就任。亜麻の植栽の他、亜麻と地域を結び、その歴史を伝えている。他にも、札幌北区の和光小学校評議員、和光の子を見守る会顧問、学田西町内会顧問など、地域を支えるために活動を行う。

麻生に込められた亜麻への想い

―あさぶ亜麻保存会を設立したきっかけを教えてください。

 明治24年、現在の麻生の一角で帝国製麻という亜麻の糸を作る工場が操業を開始しました。かつて亜麻は寒冷地に適した作物として広く栽培され、その作付け面積は全道一でした。工場では主に軍事製品の元となる糸を作っており、最盛期には従事者が250人にもなるなど当時の札幌には珍しいほどの大工場でした。工場は屯田兵として入植した地域住民に雇用の機会を生み出してきましたが、終戦とともに需要が無くなったことや安価な化学繊維の出現により、昭和32年にその80年の歴史に幕を閉じました。その後、工場の跡地には寒冷地住宅の建設計画が持ち上がりましたが、この時は「新琴似番外地」とされており、まだ地名はありませんでした。そこで、最後の工場長や有志による「麻に従事していた地域として、名前を後世に残していきたい」という想いから、昭和34年に現在の「麻生(あさぶ)」という町名が出来上がったのです。そして、亜麻の魅力を人々に伝えるため、昭和58年から麻生商店街の有志によって結成された「ふらっくす倶楽部」が活動を始めました。そして、その活動が30年を迎えた平成23年に麻生連合町内会や商店街、地元のボランティアの方々、協力者などが集まり、北区役所の協力の下「あさぶ亜麻保存会」を設立しました。以降、それまでのふらっくす倶楽部の業務を引き継ぎ、亜麻や工場の歴史を伝え、まちの名前の由来となった亜麻を通して地域の人たちとの交流を図ることを目的としています。現在は、地域の法人や個人を合わせて約70人に協力を頂き、活動をしています。 

―現在の活動内容を教えてください。

 活動内容は大きく分けて三つあります。一つ目は亜麻を通じたまちづくり活動です。亜麻には観賞用の多年草と繊維を作るための一年草があり、多年草は春先に街路のます花壇やプランターなどに種を植え、亜麻の花で歩道を飾る「亜麻フラワーロード」として管理する他、町内会などに苗を配布しています。
 一年草は麻生緑地や和光小学校で栽培を行い、観賞用としても家庭で亜麻の花を楽しんでもらえるよう種の配布を行っていますが、平成28年には江別で亜麻製品を作っているクラフト作家の小野田由美さんに指導して頂きながら、刈り取った亜麻から繊維を取り出し、初めて麻生産の糸を紡ぐことにも挑戦しました。
 他にも、地域の方に亜麻を知ってもらうため、以前に麻生で糸の店「レフィル」を営んでいた畠山祐子さんに講師になって頂き、毎年、亜麻の糸を使ったコースターを織り機で作る体験ワークショップを行っています。

(写真左)亜麻の種は一粒がゴマほどの大きさ。薄紫色の可憐で小さな花が開く。(写真右)織り機を使い、亜麻の糸でコースターを作る「亜麻のいとであそぼう」。 (写真左)亜麻の種は一粒がゴマほどの大きさ。薄紫色の可憐で小さな花が開く。(写真右)織り機を使い、亜麻の糸でコースターを作る「亜麻のいとであそぼう」。

 ニつ目は、子どもたちに亜麻を伝える活動です。小学校で一緒に子どもたちと種まきをしたり、亜麻に関する授業を行っています。「今、みんなが見ているのは観賞用の多年草だけど、亜麻には一年草もあって、昔、麻生にはその一年草の茎を繊維にする工場があったんだよ」という話や絵本の読み聞かせを行う他、亜麻を刈り取って干した茎や繊維、亜麻の糸で作った生地を実際に手に取ってもらう体験をしています。また、郷土を学ぶ授業として新琴似中学校で亜麻工場の歴史や繊維の話をしたり、織り機を使わずダンボールで亜麻の糸を織ってコースターを作る体験などを行っています。

(写真左)もぐらが動物たちの協力を得ながら亜麻を育て、ズボンを作るという絵本の読み聞かせ。(写真右)亜麻の茎のしなやかさや繊維、布の触り心地を子どもたちに体感してもらう。 (写真左)もぐらが動物たちの協力を得ながら亜麻を育て、ズボンを作るという絵本の読み聞かせ。(写真右)亜麻の茎のしなやかさや繊維、布の触り心地を子どもたちに体感してもらう。

 三つ目は平成16年から毎年秋に開催している亜麻そば祭りです。ふらっくす倶楽部の頃から続くイベントですが、食用の亜麻を使った打ちたての亜麻そばや亜麻そばまんじゅうを味わってもらうことができます。また、在りし日の亜麻工場や亜麻の花の写真展なども開催しています。

亜麻を通じて紡がれる地域の人たちの輪

―「亜麻」と「地域」をつなぐ活動とはどのようなものですか?

 私たちは「亜麻を通じて地域の人たちの輪を作りたい」と考えています。例えば、花を植える際には老人クラブがメインとなり、子どもたちと一緒に活動することで、高齢者と子どもをつなぎます。さらに、町内会の有志やボランティアなどを含め総勢100人ほどが参加し、地域の人同士の交流が生まれます。他にも、麻生地区防犯協会と協力し、早朝防犯パトロールに合わせて亜麻の花壇に肥料をまき、ごみ拾いをする活動や、札幌市のアダプトプログラムとして企業と一緒に地域の清掃活動を行っています。また、麻生では小中学校やNPO法人、市民団体、町内会、商店街などいろいろな団体がまちづくり協議会を形成し、麻生まちづくりセンターを自主運営しています。みんなが仲間となり、お互いが協力している意識をすることで、まちづくりの一環として子どもたちや地域を見守り、明るいまちにしたいという願いがあります。

これからも亜麻と地域をつなぎ続けたい

―今後の目標や課題は何ですか?

 まずは亜麻が広く知られ、地域に根付くことが目標です。住民の中には麻生の名前の由来を知らない人がいます。「あさぶ」という読み方すら知らない人もいるほどです。私たちは「麻の町」から「あさぶ」と名付けられたことを知ってもらうため、あえて団体名を平仮名にしています。また、亜麻と地域をつなげる活動をこれからも続けていきたいですね。現在も老人クラブが中心となって花を一緒に植えるなど高齢者と子どもをつないでいますが、今後は「亜麻を通じて地域を見守る」活動にもっと力を入れていきたいと考えています。例えば、一人暮らしの高齢者を子どもたちが訪問し、亜麻の花の種や苗を届けるなど、花をきっかけとした見守り活動を行っていきたいです。「亜麻の花が咲いたので、外に出て見てみませんか?」と声をかけるだけでも効果があると考えています。他にも、現在では亜麻工場があった当時のことを知る人はかなり少なくなりつつあり、当時まだ子どもだったという方からお話を伺うことしかできません。残る資料も少なく、実際に亜麻工場があった証拠として今でも残っているのは、当時の工場長の家の前に生えていたといわれるアカマツの木と、工場を囲むようにあったとされるポプラの木の二本だけです。そのため、北区役所の助成を受け、子どもたちに歴史を伝えるべく記録用の冊子を現在作成しており、平成30年度に完成する予定です。亜麻工場があったとされる辺りを歩き、さまざまな方に子どもの頃の記憶を聞いて取材をし、小学生の副読本になるようなものを目指しています。これからも昔と今の麻生を結ぶものとして亜麻と地域をつなぎ、子どもたちに残していきたいと考えています。

あさぶ亜麻保存会 (団体ページへ)

あさぶ亜麻保存会
■ 住所 札幌市北区麻生町6丁目14-6 高橋ビル2階
■ 電話・FAX 011-728-3700
■ メール asabuamanowa@gmail.com
■ 時間 10:00~16:00(火曜~木曜。ただし、土曜は15:00 まで)
■ ホームページ http://asabuama.com/

今後の開催予定

毎年、春先に亜麻の花を街路のます花壇に植える他、種や苗を配布。亜麻から採れた繊維で糸を紡ぎ、作品を作るワークショップや小中学校で亜麻に関する授業を行う。また、毎年秋に亜麻そば祭りを開催。来年度の完成を目指し亜麻記録冊子を現在作成中。問い合わせ、申し込みはホームページまたはメール、電話で受け付け。

取材を終えて

ゴマほどの小さな種から咲く薄紫の亜麻の花が、明治から北海道に根付いている植物だということを初めて知りました。その昔、亜麻工場の敷地内には野球場や銭湯、神社まであったそうです。そんな当時を知る方々の記憶を記録へと変え、次世代に伝えるという活動はそこに住む方々が地域を知ることにつながります。当時の方々の亜麻への想いが種となり、現在の麻生へと受け継がれ、これからも人と人の絆を紡ぎ続けるのだと感じました。

(取材・文・編集 株式会社Mammy Pro)
※2017年12月11日現在の情報です。